理財論

理財論とは、幕末の儒家であり陽明学者である山田方谷の書いた論文で、理財、つまり財政や資金の運用管理についたことに書かれたものになります。

山田方谷は備中松山藩、現在の岡山県の武家に生まれ、10万両の借金を抱えていた松山藩の財政を立て直し、8年間の間にこの借金を返済するばかりか逆に10万両の蓄財を作った事で知られており、山田方谷が行ったこの松山藩の立て直しは、幕末の勇である河井継之助や高杉晋作などの当時の人々に大きな影響を与え、その功績がたたえられているのです。

山田方谷が行った財政の再建は、義を明らかにして利を計らず、つまり、利益を求めるのではなく常に正しい道に適ったことを行う、という漢の董仲舒の言葉に基づいて行われており、藩の財政の正直な現状と、その苦しい財政のどのように立て直していくかという再建計画を、大阪商人に提示して交渉を行いました。

これにより、大阪商人達は、10万両の借金を取り立てるほうが、仲買などの商売をするよりも利があると判断し、こうした山田方谷の財政政策によって、10万両の借金が完済され、さらに10万両の蓄財をすることに成功したのです。

山田方谷は、こうしたことに他にも様々な財政政策を行っており、自らの家計を公開して質素な生活を送ることを魅せることにより、上級武士に対する質素倹約を強化、実施させ、また賄賂の横行を禁止し、また、乱発によって価値の下落した藩札を回収し、新しい藩札に刷新してこれを領民に貸し、産業力を向上させることでその生産物を納付させるようしました。

こうしたことは、現在の政治や経済の社会においても行われており、また見習うべき財政政策と言えるでしょう。

また、産業の発展や政策をとっており、今でいうブランド化を推し進め、たばこや高級和紙などといった備中の特産品に対して備中の名前を冠するようにし、、産業の発展のために鉄の生産に力を入れ、農耕具である鍬の先端に備中製の鉄爪を付けた備中鍬を作り出し、これを生産させ、販売するなどを行わせました。

こうした生まれた備中産の様々な商品は、販売に手数料の掛かる大阪での商売を避け、収益性の高く、人口も多かった江戸の市場調査を行い、そこで大々的に販売がされるようになりました。また、同時に備中から江戸、つまり岡山から東京までの商品の輸送についても、自藩の持つ輸送船を使って行い、生産から流通、そして販売までを一体化させることで、そのコストを大幅に下げる事によってその利益率を上げる方式を構築しました。

このように、山田方谷の行った理財論に則った様々な財政政策は、現代の経済社会においても通用する、非常に先見性の高かったものになっているのです。